中心となる尾瀬ヶ原は日本を代表する高標高地の湿原であり、その大部分は高層湿原であるため、日本最大の高層湿原でもあります。
尾瀬ヶ原のほか、尾瀬沼や至仏山、燧ヶ岳等が含まれる国立公園特別保護地域が「尾瀬」地域であると考えられるが、広義では登山口の大清水や御池あたりまで尾瀬とされることもあります。
歩道以外への立ち入りが厳しく制限され、ごみ持ち帰り運動の発祥地であるなど、日本の自然・環境保護運動の象徴でもあります。
日光国立公園の西端部分にあたり、1953年に国立公園特別保護地域、1956年には特別天然記念物(天然保護区域)に指定されています。
自然の宝庫である尾瀬は活火山である燧ケ岳の噴火活動によってできた湿原であり、ミズバショウやミズゴケなど湿原特有の貴重な植物群落が見られます。
ほぼ全域が国立公園特別保護地域および特別天然記念物に指定されており、既にある道以外の場所への立ち入りが禁止されています。
このような湿原としての重要性から、日本国政府は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」(ラムサール条約)が指定する湿地の候補として選定しました。
2005年10月21日には国内での登録を終え、2005年11月8日第9回会議で正式に決定されました。
2007年8月30日には日光国立公園から独立し尾瀬国立公園(仮称)となる予定であります。
地理
至仏山、燧ヶ岳、袴腰山、中原山などの2000メートル級の山に全方向をかこまれた盆地であります。
東側が上流域にあたる尾瀬沼で標高1660m、西側の下流域にあたる尾瀬ヶ原が標高1400m。
尾瀬沼と尾瀬ヶ原周辺に湿原が多い。沼や湿原は只見川の源流となっており、尾瀬ヶ原の水は全て三条の滝となって流れ出ています。
東西約6km、南北3km。特別保護地域の面積はおよそ8690ha。
尾瀬ヶ原の湿原と拠水林
尾瀬ヶ原の湿原は「拠水林」によっていくつかに分割されています。
拠水林とは、湿原の外部から湿原を貫通して流れる川の両側に成立している林のことであります。
湿原の外部から流れてくる川は多くの土砂を運び、川の両側に自然堤防を形づくり、そこだけは樹木の成長が可能となります。
ただし、全ての川に拠水林が成立するわけではないです。
小規模な川は湿原に流入直後の短い距離にしか拠水林を作れない川が多いです。
また、湿原内に湧き出た泉を水源とする川にも拠水林は成立しないです。
拠水林によって尾瀬ヶ原の湿原は、いくつかに分割されており、それぞれに独自の名称がついています。
川上川と上ノ大堀川に囲まれた「上田代」。
上ノ大堀川とヨッピ川、沼尻川に囲まれた「中田代」。
沼尻川と只見川に囲まれた「下田代」が主な湿原であるが、周囲にも「背中アブリ田代」や「ヨシッ堀田代」、「赤田代」などの湿原があり、至仏山や燧ヶ岳の山頂から尾瀬ヶ原を展望するとモザイク状に拠水林によって分割されている様子がわかります。
自動車乗り入れの制限
1999年には自然保護を理由に、乗り合い自動車以外の自動車の乗り入れが一部禁止されました。
規制は数年かけて徐々に強化されており、2007年現在、群馬県側の鳩待峠口では5月中旬から7月末および10月初めから中旬の全日と8・9月の週末は自家用車の乗り入れができなくなっています。
また、福島県の沼山峠口では通年自家用車の乗り入れができなくなっています。
その他、かつて唯一峠まで自動車で登ることができ、1960年代は最も多くの登山者が利用した富士見峠は、後述するアヤメ平の保護のために通年許可車以外の通行はできなくなっています。
尾瀬の木道
ほぼ全域にわたって木道が整備され、木道以外の場所を歩けないようにしてあるのも、尾瀬の特徴であります。
尾瀬に最初の木道が設置されたのは1950年代と言われています。
当初、木道の目的は登山者を湿原のぬかるみから守るためのものでありました。
しかし1960年代、当時尾瀬で唯一すぐ近くの富士見峠まで自動車で行くことができた、尾瀬地域で最も標高の高い湿原のひとつであるアヤメ平が、単線の木道しか設置されていなかったために、行き違いが出来ずに湿原に降りた多くの登山者により踏み荒らされたことを契機に、1966年から尾瀬のほぼ全領域で計画的に複線の木道が整備されるようになり、木道以外の場所は歩けないようになりました(一部登山道を除く)。
現在では木道の目的は湿原を登山者の踏みつけから守るものへと変化しています。
なお、複線部分の木道は右側通行となっています。
かつての木道は尾瀬周辺の林で伐採した木材が利用されていました。
しかし、尾瀬地域が特別天然記念物に指定されるなどして、この方法は使えなくなり、その後は地域外の木材をヘリコプターなどで搬入して利用しています。
最近の木道はカラマツ材が使われることが多いです。
カラマツは樹脂が多く湿原の水分に浸された状態でも比較的長持ちするからであるが、それでも10年前後で更新が必要であるため、計画的に更新工事が尾瀬の各所で行われています。
木道の廃材の一部は、中心部の朽ちていない部分が各種木材製品に転用されています。
木道の設置・更新工事は、現在は福島県域では福島県によって、群馬県域では群馬県と東京電力によって、新潟県域では東京電力によって行われています。
木道の表面には設置年を示す焼印が木道一本ずつに押されています。
この焼印はたとえば2007年(平成19年)設置のものなら群馬県設置のものは「群H19」、福島県設置のものは「福H19」、東京電力設置のものは「(東京電力のマーク)H19」と記されており、設置者と設置年が明らかになっており、更新の参考になっています。
木道はかつては湿原に横板を介して直接置かれたものがほとんどでありました。
しかし低層湿原部分などで、大雨のあとの増水時などに冠水しやすい部分や、融雪期に雪解け水で冠水しやすい部分は、橋梁状の地面からの高さが高いものに作り直されています。
木道の単線あたりの幅は約50cmで、幅広の木材を2枚使ったものから、幅の狭い木材4枚を使ったもの、その中間の3枚の木材を使ったものまであります。
群馬県側の登山口のひとつ大清水の湿原には車椅子対応の幅150cmのものが設置されています。
段差をなくし、車いすが落ちないように両端に車止めを付けるなどの配慮がなされています。
2008年までには同様のものが福島県側の御池登山口の湿原にも設置される予定となっています。
なお、複線木道整備のきっかけになったアヤメ平は1969年から復元事業が開始されています。
採取した種子をまき、高山植物を現地で栽培するという方式がとられているが、2007年現在、復元は完全には完了していないです。
主な登山口には種子落しマットが設置され、外来植物が極力尾瀬に持ち込まれない努力がなされています。