四国の八十八箇所 遍路にちなむ文化

瀬戸内海国立公園

四国遍路にちなむ文化

四國邊路指南(しこくへんろみちしるべ)の刊行

ここまで四国遍路が盛んになったのは、貞享4年(1687年)に刊行された『四国遍路指南』という新書版の本の刊行によります。

この本を著したのは眞念という人であるが、そこには宿泊所情報なども盛り込まれており、遍路をしたい人にとって重要なガイドブックとなりました。

さらに、この本によって八十八箇所が固定化され、それまで順番などなかった札所の寺に順番が付けられたものと考えられます。

同行二人

仮に一人で四国八十八箇所をめぐっても、同行二人(どうぎょうににん)と言って常にお大師さん(弘法大師)と一緒にいる想いで巡礼しています。

「同行二人」は参拝の道具にも記されています。

同行二人の巡礼者ともう一人は弘法大師以外でも、亡くなった家族や先祖、帰依する如来や菩薩などのことを想っても良いとする教えもあります。

白衣

笈摺(おいずる)とも呼ばれています。

巡礼者が着なければならないとされている、白い着衣です。

四国八十八箇所の寺院や門前の店で購入すると「南無大師遍照金剛」と背中に書かれたものが一般的であります。

袖があるのもを白衣、袖無しのものを笈摺とする説明もあるが、はっきりと区別されているわけではないです。

宝印を受領するためだけの実際には着衣しない白衣は判衣とも呼ばれます。

巡礼の途中でいつ行き倒れてもいいように死装束としてとらえる説もあれば、巡礼といえども修行中なので清浄な着衣として白を身につける、どんな身分でも仏の前では平等なのでみな白衣を着るとする説もあります。

金剛杖

木製の杖で空海が修行中に持っていた杖に由来します。

巡礼者が持つ金剛杖は弘法大師の化身ともいわれるほどで、宿に着いたら杖の足先を清水で真っ先に洗い、部屋では上座や床の間に置くなどの扱いをするのがならわしであります。

巡礼中、行き倒れた巡礼者の卒塔婆として使用されたといわれています。

市販されているものは「同行二人」「南無大師遍照金剛」や梵字が書かれ、般若心経が書かれているものもあり、杖の上部の細工は塔頭を模しています。

橋の上ではついてはならない。

逆打ち

四国を時計回りに札所の数字を昇順に巡礼するのを順打ちといい、反時計回りに降順に巡礼するのを逆打ちといいます。

第一番札所から巡礼を開始し、逆打ちする場合は第三番札所金泉寺から大坂峠越えで第八十八番札所大窪寺に向かうのが一般的であったといわれています。

映画『死国』では禁忌などのようにとらえられているが、順打ちよりも困難な場合が多く、ご利益が順打ちよりも大きく、順打ち3回分のご利益があると言われています。

また、逆打ちだと順廻りしているお大師さんと遭遇する確率が高いので、この理由でご利益があるとも言われています。

お接待

茶堂の例(四国村。北宇和郡より移築)道中、お遍路さんに対して地元の人々から果物や金品、善根宿など、お接待または接待とよばれ、食べ物や飲み物、手ぬぐいやときには現金を渡す無償の提供がなされる伝統があります。

これに対し、遍路は持っているお札を「お接待」してくれた人に渡すことになっています。

こうした文化のおかげで、昔は比較的貧しい人であってもお参りができたといわれています。

今日でも四国西南部ではお接待の場ともなった「茶堂」が残っています。

「お接待」の心は、接待することによって功徳を積む、巡礼者もまた弘法大師のある種の化身であるという言い伝えからや、一種の代参のようなものとか様々であります。

観光振興や観光従事者の研修等では「もてなしの心」と拡大解釈されることがあります。

もともと、関西で西国三十三箇所観音霊場の修行者、巡礼者に対して始まったとされるが、 観光化、俗化したために関西では早くに廃れたといわれています。

四国以外の地域でも、接待講と呼ばれる講を組み、浄財を集め、四国で遍路にたいして接待をするということも行われました。

納札

札所などにお参りし、納経した証に収める札です。

般若心経を写経したものを納めるのが正式とされているが、読経したのちに自分の名前を書いた納札を納めても良いです。

衛門三郎が自分が空海を探しているということを空海に知らせるために(空海が立ち寄ると思われる)寺にお札を打ちつけたのが始まりとされます。

かつては木製や金属製の納札を山門や本堂の柱などに釘で打ちつけていたようです。

このことから、遍路自体や、札所に参拝したことを「打つ」とも言います。

現在では、お寺の建築物の損傷を避け、持ち運びの利便性を考え、紙製の納札を納札箱に入れることなっています。

また、接待をしてもらったら、その人にお礼の気持ちも込めて納札を渡すのが決まりであります。

結願した回数によってお札の色を変えてもよいです。

1〜4回が白、5〜7回が緑、8〜24回が赤、25回以上で銀、50回以上で金、そして100回以上で錦の札となる。ただし、白より錦の札がより良いとされるわけではないです。

100回以上回っても白の納札を使う人もいます。

善根宿

善人宿とも呼ばれます。

広義では自宅の前を通った遍路に「一晩泊っていきなさい」と一夜の宿を提供するのも善根宿といわれています。

一般的には「お接待」の心で善意で用意された簡易宿泊施設であります。

施設を提供するのは個人や企業、地域ぐるみなど様々であります。

通夜堂

本来は寺院内で夜を徹して読経や真言を唱える修行をするための施設(お堂)だが、四国八十八箇所においては霊場が巡礼者にたいして用意した簡易宿泊施設という意味合いが強いです。

宿坊とは違い寝るだけの最低限の設備しかない(布団も基本的にはない)。

かつては通夜堂を持つ霊場が多かったが、旅館などの宿泊施設が増えたことや、利用者のマナーなどの問題により減少し、現在では通夜堂を持つ霊場(小屋やガレージなどを一時的に利用しても良いとする霊場を含む)は2割程度であります。

十夜ヶ橋(とやがばし、とよがばし)

現在の愛媛県大洲市付近で空海が一宿を求めたがどの家からも断られ、仕方なく橋の下で寝ることとなりました。

寒さと旅人が杖で橋を突く音でまったく眠れず、一夜が十夜にも感じられた、という和歌が残っています。

このため巡礼者は橋の下には空海がいるかもしれないから橋をわたるときは杖を突いてはならないというならわしがあります。

すぐそば、国道に面して永徳寺(番外霊場)があり、お参りする人も多いです。

現在、その橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれ国道56号の一部となり、交通量の多いコンクリート橋になっているが、橋の下で空海を偲びつつ野宿することができます。

雨期には冠水する場合もあり、夏季は蚊が多いので注意を要します。

地四国・島四国

四国八十八箇所のことを略して「お四国参り」あるいは「お四国」「お大師さん」と呼ぶことがあるが、四国には各地に民衆信仰としての地四国あるいは「ミニ四国」「新四国」と呼ばれるものがあります。

離島では島を四国に見立てて、八十八箇所を再現した島四国も瀬戸内海を中心に存在します。

先達

四国八十八ヶ所霊場会では昭和30年代に「公認先達」という認定制度を発足させました。

ツアー会社の団体巡礼に同行する先達はほぼ「公認先達」であります。

徒歩による巡礼のガイドを引き受けてくれる先達もいます。

公認先達は最低4周以上の巡拝経験が必要であります。

その上で研修を経て補任されます。

中司茂兵衛(大先達)

弘化2年生まれ。四国八十八ヶ所巡礼を慶応2年から大正11年まで歩きで280回巡拝しました。

また、しるべ石を240基余りを建立しました。
posted by tomarigi at 11:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園
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