支笏湖 チップ(ヒメマス)が名産になっており、チップ釣りなどが夏季の風物詩 温泉もあり キャンプ場もありますのでアウトドアも楽しめます 近くに観光スポットもあります

支笏湖(しこつこ)は、北海道千歳市にある淡水湖です。

支笏洞爺国立公園内にあります。


所在地 北海道(石狩支庁)
面積 78.4 km²
周囲長 40.4 km
最大水深 363.0 m
平均水深 265.4 m
貯水量 20.9 km³
水面の標高 247 m
成因 カルデラ湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 貧栄養湖
透明度 17.5 m

地理的には、

北海道南西部に位置します。

平均水深265m、最大水深363mは田沢湖に次いで日本で2番目に深いです。

面積は日本で8番目、カルデラ湖としては屈斜路湖に次いで2番目に大きいです。

湖の北側には恵庭岳、南側には風不死岳、樽前山がそびえています。

水深があるため、面積は琵琶湖の1/9に過ぎないが、貯水量は3/4に達します。

それゆえに水温が下がりにくく、日本最北の不凍湖でもあります。

流入河川 美笛川、オコタンペ川、ニナル川、フレナイ川

流出河川 千歳川

利用

1895年に阿寒湖から導入されたチップ(ヒメマス)が名産になっており、チップ釣りなどが夏季の風物詩になっています。

支笏湖ユースホステルは、日本ユースホステル協会の直営第一号ユースホステルです。

同施設の旧館は、昭和の北海道建築を牽引した田上義也の設計です。

支笏湖ビジターセンター

キャンプ場

オコタン野営場

美笛キャンプ場

ポロピナイキャンプ場

モーラップキャンプ場

湖畔にある温泉

支笏湖ユースホステル

支笏湖いとう温泉

支笏湖温泉

丸駒温泉

オコタン温泉(現在は廃湯)

交通

湖の北には、札幌市に通じる国道453号が通っています。

湖の東には、千歳市中心部に通じる道道支笏湖公園線が通っています。

湖の南には、苫小牧市に通じる国道276号が通っています。

湖の西には、伊達市に通じる国道276号・国道453号(両路線重複)が通っています。

千歳市内からの路線バスが運行されています(北海道中央バス (3系統)支笏湖〜千歳駅〜新千歳空港)他、夏季には札幌(札幌駅前バスターミナル)からのバスも運行されています。

かつては支笏湖〜苫小牧間の路線バスもあったが現存していないです。

posted by tomarigi at 18:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 支笏洞爺国立公園

倶多楽湖 直径約3kmのほぼ円形の湖で、流入・流出する川がなく、水質はきわめて良いです 観光道路沿いにレストハウス(夏期のみ営業)があり、ここでボートを借りてヒメマス釣りができます 登別温泉など観光地が近い

倶多楽湖(くったらこ)は、北海道南西部、白老郡白老町にあるカルデラ湖です。

支笏洞爺国立公園の特別区域に入っています。地域一帯で気象庁が定める活火山となっています。

直径約3kmのほぼ円形の湖で、流入・流出する川がなく、水質はきわめて良いです。

環境省が発表する公共用水域水質測定では毎年湖沼部門の上位に名を連ね、たびたび1位にもなっています。

透明度は摩周湖に次いで2位とされています。

貧栄養湖でプランクトン量に乏しく、エゾサンショウウオ(かつて、サンショウウオが鰓を付けたまま成熟する現象「ネオテニー」があったが、最近は見られない)以外ほとんど生息していない湖だったが、1909年にヒメマスが移入され、以降その養殖が行われています。

登別温泉の東方約2kmの位置にあります。

倶多楽湖を形成した倶多楽火山は現在、湖の西側で活動を続けており、登別温泉の源泉である地獄谷や大湯沼(ともに爆裂火口)、日和山噴火口(溶岩円頂丘)などの観光名所があります。

倶多楽湖自体の観光開発はほとんど行われておらず、登別温泉街から西側湖岸へ続く観光道路がある程度です。

このため、登別市に所属していると勘違いされている記述が多い(上記のように白老町に所属する)。

虎杖浜側、竹浦飛生地区からであれば道路造成も比較的容易であるが、白老町自体がポロト湖周辺の観光開発以外は消極的であります。

このため湖を一周できる道路はないです。

観光道路沿いにレストハウス(夏期のみ営業)があり、ここでボートを借りてヒメマス釣りができます(解禁期間は例年5月中旬から7月末まで)。

面積 : 4.68km2
周囲 : 8km
湖面標高 : 258.0m
最大水深 : 148.0m
透明度 : 19m
流入河川 : なし
流出河川 : なし


倶多楽湖への交通アクセス

道央自動車道・登別東インターチェンジから北海道道2号洞爺湖登別線、北海道道350号倶多楽湖公園線を経由して約8kmくらいです。

鉄道ではJR室蘭本線の登別駅が最寄りになる(ただし、バス2本を登別温泉で乗り継ぎです)。

posted by tomarigi at 18:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 支笏洞爺国立公園

昭和新山 標高398m 北海道有珠郡壮瞥町にある火山です

昭和新山(しょうわしんざん)とは、北海道有珠郡壮瞥町にある火山です。

支笏洞爺国立公園に含まれます。

標高398mで、温度低下と浸食などによって年々縮んでいます。

国指定特別天然記念物です。

標高 398 m
位置 北緯42度32分33秒
東経140度51分52秒
所在地 北海道胆振支庁 有珠郡壮瞥町
山系 --
種類 溶岩ドーム

地質は、

明治新山等と同じく有珠山の側火山であり、デイサイト質の粘性の高い溶岩により溶岩円頂丘が形成されています。

現在も噴気活動が見られます。

赤色に見えるのは、かつての土壌が溶岩の熱で焼かれて煉瓦のように固まったものであります。

噴火前の状況

かつてはこの地域にはフカバという集落がありました。

この集落名は、鮭鱒の孵化場があったことによります。

胆振縦貫鉄道が通るのどかな田園地帯であったが、火山の隆起とともに集落は消滅しました。

その痕跡は崩壊した鉄道の橋脚跡などに残っています。

噴火観測と保護

昭和新山は、1943年12月から1945年9月までの2年間に17回の活発な火山活動を見せた溶岩ドームであります。

当時は太平洋戦争中であったこともあり、世間の動揺を抑えるために噴火の事実は伏せられ、公的な観測すら行うことができなかったようです。

地元の郵便局長、三松正夫は、その成長の詳細な観察記録を作製しました。

これは後年、ミマツダイヤグラムと名付けられ、貴重な資料となりました。

また、三松は世界的にも貴重な火山の徹底的な保護と、家と農場を失った住民の生活の支援のために、民から山になってしまった土地の買い取りを行いました。

このため昭和新山は三松家の私有地であり、ニュージーランドのホワイト島等と同じく、世界でも珍しい私有地内にある火山であります。

1957年には特別天然記念物に指定されました。

なお、現在、昭和新山の山麓には、三松正夫記念館が建っています。

三松正夫による観測記録などの資料類が展示されています。

昭和新山への交通アクセス

国道453号から北海道道703号洞爺湖公園線を進みます。





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有珠山 過去100年間に4度の噴火活動が観測された、日本でも特に活発な活火山であります 山麓にも昭和新山や金比羅山、明治新山

有珠山(うすざん)は、北海道、洞爺湖の南に位置する標高737mの活火山です。

山頂は壮瞥町にあり、山体は洞爺湖町・伊達市にもまたがっています。

過去100年間に4度の噴火活動が観測された、日本でも特に活発な活火山であります。

二重式火山で、直径約1.8kmの外輪山の中に大有珠、小有珠、オガリ山、有珠新山などの溶岩円頂丘群が形成されています。

また山麓にも昭和新山や金比羅山、明治新山などの円頂丘群を有しています。

1663年以降の活動はケイ酸(SiO2)を多く含んだ粘性の高いマグマによるもので、噴火前には地殻変動や群発地震を発生し、噴火に伴って潜在ドームや溶岩ドームによる新山を形成するのが特徴であります。

有珠山の歴史

成り立ち

洞爺湖をかたちづくる洞爺カルデラの南部に有珠山が形成されたのは約2万年前と考えられています。

噴火を繰り返し年月をかけて成層火山をなしたが、約7千年前に山頂部が爆発しました。

その際に山体崩壊が発生し、南側に口を開けた陥没地形が形成されました。

この時発生した岩なだれは噴火湾にまで達し、有珠湾周辺の複雑な海岸線をつくりました。


江戸時代の噴火

山頂崩壊後は長く活動を休止した有珠山であったが、寛文3年(1663年)旧暦7月14日に山頂噴火しました。

翌日には山麓の家屋を焼き住民5人が死亡したとの記録があります。

活動は7月末まで続きました。

この時の噴出物で山頂南側開口部が再び閉塞され、山頂火口は現在のような臼状の地形となりました。

次の活動は明和6年12月(1769年)で、南麓の集落が全焼しました。

山頂陥没部に現在の小有珠にあたる溶岩ドームが形成されたのは、この明和噴火か、その前の寛文噴火の時と考えられます。

最も大きな被害をもたらした噴火は文政5年(1822年)旧暦1月19日に始まった噴火で、2月1日には山の南側を中心に火砕流が流下し、火砕サージも発生しました。

これにより南西麓のアブタコタン(現在の洞爺湖町入江)が壊滅し、記録によって異なるものの50名以上の住民が死亡したとされました。

また、蝦夷地随一の馬産牧場であった虻田・有珠牧場も多くの馬を失う被害を受けました。

今日ではオガリ山と呼ばれている潜在ドームは、この噴火で形成されました。

嘉永6年(1853年)の噴火も大規模な火砕流を伴うものだったが、当時集落のなかった洞爺湖方向への流下だったため、大きな被害はもたらさなかったようです。

この噴火は27日に終息したが、翌日から山頂に溶岩ドームが成長しはじめました。

これが大有珠であります。

江戸時代の噴火はいずれも山頂からもので、多量の噴出物を一気に放出する、いわゆるプリニー式噴火でありました。

また、いずれも火砕流と火砕サージの発生が見られ、被害の多くは火砕サージの熱風による家屋の焼失でありました。


1910年噴火

1910年(明治43年)7月25日、北西麓の金比羅山で始まった噴火は、まもなく北東麓の東丸山にかけての地域で次々に火口が開き、その合計は45個に及びました。

マグマが洞爺湖付近の地下水と遭遇して水蒸気爆発を起こしたものでありました。

一部の火口からは熱泥流が発生し、これに巻き込まれた1人が死亡。

噴火は8月5日まで続きました。

北麓では地殻変動が起こり、最大約150m隆起して新たな山を形成しました。

この山は明治新山、あるいは明治43年にちなんで四十三山(よそみやま)と呼ばれています。

この噴火活動により、火口に近い洞爺湖岸では温泉が湧出するようになりました。

これが洞爺湖温泉の始まりであります。


1944年-1945年噴火

有珠山東麓では1943年末から地震が続き、1944年に入ると東九万坪と呼ばれる地域で次第に地盤が隆起しはじめました。

6月23日についに水蒸気爆発が発生し、その後も爆発を繰り返しました。

この噴火では降灰による窒息死で幼児1名が死亡しています。

もとは標高100mあまりの台地であったところが、潜在ドームの形成により250mほどの山となっていたが、11月中旬になると火口から溶岩ドームが現れ始めました。

この潜在ドームと溶岩ドームは翌年9月まで成長を続け、標高は400mを超えました。

この新山は田中館秀三により昭和新山と名付けられた。

1977年-1978年噴火

1977年8月7日午前9時12分に始まった噴火は山頂からのプリニー式噴火でありました。

同年8月14日未明まで4回の大きな噴火を含む10数回の噴火が断続しました。

噴煙の高さは最高12,000m。火口周辺地域には多量の軽石や火山灰が堆積し、家屋が破壊されました。

降灰は道内119市町村に降り注ぎ、農作物に多大な被害を発生させました。

また、当時付近を走っていた国鉄胆振線もこの噴火で不通になりました。

降灰撤去費用がかさんだことが、同線の後の廃止の一因になったといわれています。

11月16日からは水蒸気爆発が発生し始め、翌年の10月27日まで続きました。

この爆発による火山灰は降雨によって泥流となり、死者2名、行方不明者1名が出ました。

地震と地殻変動は1982年3月まで続き、山頂部には有珠新山が形成された。 この地殻変動により校舎が破損した洞爺湖温泉小学校は移転改築を余儀なくされました。


2000年噴火

最近の噴火は2000年のものである。3月31日午後1時7分、西山山麓からマグマ水蒸気爆発しました。

噴煙は火口上3500mに達し、周辺に噴石放出、北東側に降灰しました。

翌日には西山西麓、また温泉街に近い金比羅山でも新火口が開きました。

西山火口群を通過する国道230号は、地盤の隆起と断層により破壊され、通行不能となりました。

金比羅山火口からは熱水噴出により熱泥流が発生し洞爺湖温泉街まで流下、西山川に架かる2つの橋が流失しました。

火口に近い地域では噴石や地殻変動による家屋の破壊が多発しました。

また、広い範囲で地殻変動による道路の損壊が発生しました。

特筆すべきはこれだけの災害でありながら死傷者が出なかったことであります。

3月27日からの火山性地震の分析や断層の探索により近日中の噴火が予知され、3月29日には気象庁から緊急火山情報が出されました。

これを受けて壮瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していました(噴火後に避難者数は最大約1万6千人まで拡大)。

通常、緊急火山情報は人命に関わるような噴火が発生したことを知らせるものであり、噴火前にこれが発表されたのは初めての例であります。

有珠山が比較的「噴火予知のしやすい火山」であること、噴火を繰り返す周期が短くかつ一定で、地域の住民の多くは前回、前々回、中にはそのさらに前の噴火を経験した人もいること、また、「温泉などの、有珠山の火山活動による恩恵を受けて暮らしているのだから、30年に1度の噴火は当然受け入れなければいけないこと」という意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や、普段からの児童への教育などがなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行ったことなども被害が最小限で済んだ要因の一つであります。

熱泥流に襲われ校舎が破損した洞爺湖温泉小学校は敷地が砂防ダム用地になったことも合わせて再び移転改築を余儀なくされました。

一時期室蘭本線が跨線橋の落下などのため不通となり、長距離列車は函館本線経由で運行されました。

3月29日から翌2001年6月30日までの間、道央自動車道の一部区間が路面損壊などのため通行止となりました。

また、有珠山に近い室蘭市入江運動公園陸上競技場での開催が予定されていたサッカー・J2のコンサドーレ札幌対浦和レッズ(4月9日開催)、ナビスコ杯・コンサドーレ札幌対ガンバ大阪(4月12日開催)が噴火の影響により延期となりました。

見学地

西山火山散策路

2000年に噴火した火口付近に設定された散策路。

枕木を敷き詰めており、子供から年配の来訪客まで容易にアクセスできます。

展望台からは水蒸気が立ち上る様子や噴火により破壊された建物、隆起により寸断された道路(国道230号)などを見学できます。

駐車料金300円が必要で、散策路周辺は民有地のため土産物屋が多数存在します。


洞爺湖町立火山科学館

1977年、2000年の噴火時資料を多数展示されています。

近隣の砂防ダム上から、2000年の噴火対策を行った際に、砂防施設内に取り残された団地を見ることが出来ます。

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洞爺湖 洞爺カルデラ内にできた湖で南岸に洞爺湖温泉、有珠山・昭和新山があり、北海道有数の観光地帯となっています

洞爺湖(とうやこ)は、北海道虻田郡洞爺湖町と有珠郡壮瞥町にまたがる湖です。

支笏洞爺国立公園に含まれます。

2007年4月23日、2008年の主要国首脳会議(サミット)開催地に正式決定しました。

これにより日本でのサミット開催は九州・沖縄サミットに続き、再び大都市ではなく地方での開催となります。

所在地 北海道(胆振支庁)
面積 70.7 km²
周囲長 50 km
最大水深 180.0 m
平均水深 117.0 m
貯水量 8.19 km³
水面の標高 84 m
成因 カルデラ湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 貧栄養湖
透明度 10.0 m

地理的には、

北海道南西部に位置します。

洞爺カルデラ内にできた湖で、面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖、支笏湖に次いで3番目の大きさです。

東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖で、中央に浮かぶ中島(面積4.85km²)の最高点(標高455m)を中心として東北東〜南東〜南南西にかけての領域が壮瞥町、他は洞爺湖町の区域となっています。

アイヌの人々は洞爺湖のことを「キムン・トー」(山の湖)と呼んでいたが、湖の岸を意味する言葉「トー・ヤ」が和人により湖名とされました。

まれに「どうやこ」と呼ばれることがあるが、これは誤りである(誤って記憶している北海道民もいるため注意が必要である)。

島 : 中島、観音島、弁天島、饅頭島

流入河川 : ソウベツ川、大川など

流出河川 : 壮瞥川

洞爺湖の歴史

洞爺カルデラは約10万年前の最終間氷期に数回の噴火を経て形成されました。

最後の大規模な噴火による降下火山灰は北海道から東北にかけての広い範囲の地層に見られます。

カルデラ壁周辺には火砕流堆積物による台地も形成されています。

貧栄養湖で透明度は高かったが、南岸の洞爺湖温泉街をはじめとして排水の流入が増えたため、透明度の低下が著しいです。

利用

南岸に洞爺湖温泉、有珠山・昭和新山があり、北海道有数の観光地帯となっています。

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羊蹄山 富士山に似た姿から蝦夷富士(えぞふじ)とも称されています 羊蹄山に登るには、倶知安コース(半月湖から登るコース)、京極コース、真狩コース、喜茂別コースの4種類があります

羊蹄山(ようていざん)は北海道後志支庁にある、標高1,898mの成層火山で活火山に指定されています。

富士山に似た姿から蝦夷富士(えぞふじ)とも称されています。

支笏洞爺国立公園に属しています。

「後方羊蹄山」として、日本百名山の1つになっています。


標高 1,898 m
位置 北緯42度49分24.4秒
東経140度48分52.9秒
所在地 北海道 後志支庁
山系 独立峰
種類 成層火山

概要
旧名である後方羊蹄山(しりべしやま)は日本書紀に登場する地名後方羊蹄(しりべし)に由来します(実際に同じ場所を指すかどうかは不明)。

なお、後方で「しりべ」、羊蹄で「し」と読み、そもそもの羊蹄は植物のギシが由来だが、のちに羊蹄山の方が広く使われるようになり現在に至ります。

なお、明治・大正期の一部の地図には「マッカリ山」(真狩山)の表記も見られます。

アイヌの人々は南東にある尻別岳(1,107m)をピンネシリ(雄山)と呼び、羊蹄山のことはマチネシリ(雌山)と呼んだ。なお尻別岳を前方羊蹄山と呼ぶことがあります。

キタキツネ、エゾクロテン、エゾリス、シマリス、エゾモモンガ、エゾユキウサギなどの哺乳類が生息しており、130種類以上の野鳥がいることも確認されています。

また、名水の地としても知られ、周囲には無料で利用できる水汲み場が数ヶ所あります。

因みに水汲み場に付随している公衆トイレは、東京へ持っていけば1リットル200円はしようかという水を常時流し続けるという贅沢な施設であります。

その山頂は倶知安町・喜茂別町・京極町・真狩村・ニセコ町の境をなしています。

登山コース

羊蹄山に登るには、倶知安コース(半月湖から登るコース)、京極コース、真狩コース、喜茂別コースの4種類があります。

どのコースも登山には4時間から6時間程度がかかります。

9合目付近には100名収容の避難小屋があり、毎年6月中旬から10月中旬には管理人も常駐しています。

土砂災害

羊蹄山山麓付近の入植は、明治年間から行われているが、しばしば山頂付近に存在する崩壊地から発生する土石流の流下により人的及び物的被害を出してきました。

崩壊は現在も続いており、大規模な崩壊が発生した際に巻上がる土砂の煙は、噴火や山火事と間違われることがあります。

半月湖

北西の麓に火山活動で生じた火口湖、火口の中に火口径より小さい溶岩ドームが形成されたため半月型の形をしています。

面積1.3平方キロメートルと小さめの湖だが周囲には原生林が密生しています。

半月湖の脇には倶知安町が設置したキャンプ場もあります。

半月湖周辺から登山道周辺の植物群落が天然記念物に指定されています。







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支笏洞爺国立公園 北海道西部にある国立公園 湖と火山、そして温泉が多いのが特徴

支笏洞爺国立公園(しこつとうやこくりつこうえん)は、北海道西部にある国立公園です。

湖と火山、そして温泉が多いのが特徴です。

1949年5月16日に指定されました。

支笏洞爺国立公園の面積は993.02km2。

大きく5つの地域に分けることができます。

1.羊蹄山 : 羊蹄山

2.洞爺湖 : 洞爺湖、有珠山、昭和新山

3.登別 : 登別温泉、オロフレ峠、倶多楽湖

4.支笏湖 : 支笏湖、樽前山、恵庭岳

5.定山渓 : 定山渓、豊平峡、中山峠


関係市町村

石狩支庁

札幌市

恵庭市

千歳市

胆振支庁

苫小牧市

登別市

伊達市

白老郡
白老町

有珠郡
壮瞥町

虻田郡
洞爺湖町

後志支庁

虻田郡
真狩村
喜茂別町
京極町
倶知安町
ニセコ町
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