四国の八十八ヵ所 遍路の成立 代以降の参り方 遍路の「観光化」人数は定かではないが、年間30万人(うち歩き遍路が5000人)ともいわれています

瀬戸内海国立公園

四国 遍路の成立と近代以降の参り方

修行の地、四国

古代から、都から遠く離れた四国は辺地と呼ばれていました。

平安時代頃には修験者の修行の道であり、讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であったといわれています。

空海の入定後、修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めました。

これが四国遍路の原型とされています。

時代がたつにつれ、空海ゆかりの地に加え、修験道の修行地や足摺岬のような補陀洛渡海(補陀洛山寺#補陀洛渡海)の出発点となった地などが加わり、四国全体を修行の場とみなすような修行を、修行僧や修験者が実行しました。

また、西行の白峰御陵(白峰寺)の参拝、弘法大師遺蹟巡礼や、一遍の影響もあるといわれています。

室町時代には僧侶の遍路が盛んになりました。


四国遍路の成立

江戸時代初期に「四国遍路」という言葉と概念が成立したとされます。

この頃には僧侶だけでなく民衆が遍歴しはじめました。

17世紀には真念という僧によって『四国遍路道指南』(-みちしるべ)という今日でいうガイドブックが書かれています。

手の形の矢印で順路を示した遍路道の石造の道しるべも篤志家によってこの時期に設置され始めたと言われています。

修行僧や信仰目的の巡礼者以外にも、ハンセン病患者などの、故郷を追われた、もしくは捨てざるをえなかった者たちが四国遍路を終生行いました。

また、犯罪やそれに類する行為で故郷を追われた者も同様に居たといわれています。

もっともこれらの者たちも、信仰によって病気が治るのではないかという期待や、信仰による贖罪であったので、信仰が目的であったともいえます。

また、信仰によって病気や身体の機能不全が直るのではないかと一縷の望みをかけ、現代でいう視聴覚障害者や身体障害者が巡礼することも始まりました。

その後、地区によっては一種の通過儀礼として村内の若衆が遍路に出るといったこともあったとされます。


近代における遍路の「観光化」

昭和30年代頃までは「辺土」と呼ばれ、交通事情も劣悪で、決して今日のような手軽なものではなかったようです。

今日でこそその心理的抵抗は希薄になっているが、どこで倒れてもお大師のもとへ行けるようにと死装束であり、その捉え方も明るいイメージではなかったです。

しかしながら、次第に観光化の道を歩み始めました。

近代以降、四国遍路はさまざまな場面で取り上げられることとなりました。

以下は、森正人の『四国遍路の近現代―「モダン遍路」から「癒しの旅」まで』創元社に詳しく紹介されているが、1908年には現在の『毎日新聞』の前身である『大阪毎日新聞』で、四国遍路の巡礼競争が企画された。全国紙での企画ではこれが最初のものであるらしいです。

1930年代には乗り物を用いて、旅館などに宿泊する人々が登場しました。

彼らは「モダン遍路」と呼ばれました。

四国遍路は観光としてみなされたのだったようです。

観光として四国遍路を捉える人々に対して、伝統的な四国遍路を主張する「遍路同行会」が1929年に東京に誕生しました。

ちなみに同書によると、現在のような四国霊場会は昔は存在しなかったが、1910年ごろに小林正盛という人物が組織された形跡があるらしいです。

ただし実質的な活動はしておらず、1942年に善通寺を中心とした「四国八十八ヶ所霊場会」が組織されたのが、四国側での活動組織となっています。

この霊場会の組織に先立って1937年、大阪の南海電鉄によって「四国八十八ヶ所出開帳」というイベントが開かれました。

このとき、それまで全寺院が協力して何かを成し遂げることなどなかったのに、初めて全寺院が団結して出開帳を成功させました。

「この経験が、1942年の霊場会の成立と関わっているのではないか」と、同書は解説しています。


現代

現代においては、従来の信仰に基づくものや、現世・来世利益を期待する巡礼者も引き続き大勢いるが、1990年代後半からは信仰的な発心よりも、いわゆる自分探し、癒しとしての巡礼者が増えたといわれています。

一時期減ったといわれるすべての札所を徒歩で巡礼する歩き遍路も同じころから増えました。

また、バックパッカー的な感覚やトレッキングを楽しむ感覚で遍路をする者も増えたといわれています。

今治明徳短期大学など、四国の大学・短期大学の中には歩き遍路を自分を見つめなおす機会ととらえ、教育課程に組み込んでいる学校もあります。

その人数は定かではないが、年間30万人(うち歩き遍路が5000人)ともいわれています。
posted by tomarigi at 11:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園

四国の八十八ヵ所とは 四国にある88か所の弘法大師(空海)ゆかりの札所の総称です 観光バスや車を利用する場合は10日前後、徒歩で巡ると40日前後かかると言われています

瀬戸内海国立公園

四国八十八ヵ所(しこくはちじゅうはちかしょ)は、四国にある88か所の弘法大師(空海)ゆかりの札所の総称です。

「四国遍路」(しこくへんろ)・「四国霊場」とも言います。


概要

江戸時代ごろから西国三十三箇所観音霊場、熊野詣、善光寺参りなど庶民の間に巡礼が流行するようになりました。

そのうちの一つが四国八十八ヵ所であります。

これを模して小豆島には小豆島八十八ヵ所霊場・江戸には御府内八十八ヵ所霊場など、全国各地に大小様々な巡礼地が作られました。

「移し」または「写し」とも呼ばれ、四国遍路隆盛の証左とも言われています。

他の巡礼地と異なり、四国八十八カ所を巡ることを特に遍路と言い、地元の人々は巡礼者をお遍路さんと呼びます。

八十八ヵ所を通し打ち(後述)で巡礼した場合の全長は1200〜1400km程です。

自動車を利用すると打戻りと呼ばれる来た道をそのまま戻るルートや遠回りのルートが多いので徒歩より距離的には増える傾向にあります。

観光バスや車を利用する場合は10日前後、徒歩で巡ると40日前後かかると言われています。

遍路は順番どおり打たなければならないわけではなく、各人の居住地や都合により、移動手段や日程行程などさまざまであります。

1度の旅で八十八ヵ所のすべてを回ることを「通し打ち」。

何回かに分けて巡るのを「区切り打ち」といいます。

また、順番どおり回るのを「順打ち」、逆に回るのを「逆打ち」といいます。

うるう年には逆打ちをする遍路が平年に較べ多いとの印象をもつ人もいるらしいです。

これは閏年に逆うちを行うと倍の御利益があるとも、お大師さん(弘法大師)とすれ違うと言う言い伝えがあるからだろう。(実際に多いかどうかは不明)

遍路(巡礼者)は札所に到着すると、ある程度決められた手順(宗派によって多少異なる)に従い、本堂と大師堂に参り、般若心経など決められた読経を行い、その証として納札(後述)を納め、納経所(のうきょうじょ)で寺の名前や本尊の名前、本尊をあらわす梵字などを墨書し納経印を押したのものを納経帳(のうきょうちょう)に受領することができます。

この墨書し納経印を押したものは朱印、(御)宝印とも呼ばれ寺の本尊を写したもので大切に扱わなければならないとされています。

宝印は納経帳以外にも掛け軸、白衣にも受領できる。宝印めあてに急ぎ巡る遍路は判取り遍路(はんとりへんろ)またはスタンプラリーと揶揄されることもあります。

八十八カ所すべてを廻りきると「結願(けちがん)(結願成就)」となり、その後、高野山(奥の院)に詣でて「満願成就」とします。


posted by tomarigi at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園

屋島 瀬戸内海国立公園 香川県の代表的な観光地となっています 名物は「いいだこのおでん」屋島全景(サンポート高松の埠頭より)国指定の史跡・天然記念物

瀬戸内海国立公園

屋島(やしま)は、香川県高松市北東部にある地区です。

かつては全域が木田郡屋島町(やしまちょう)に属したが、1940年2月11日に高松市に編入されました。

またはその地区内に位置する山の名です。

屋島の戦いでの源平の古戦場である。山上からの瀬戸内海の眺めがよく、現在では香川県の代表的な観光地となっている。


屋島全景(サンポート高松の埠頭より)国指定の史跡・天然記念物。

地形

南北5km、東西2kmの島であり、花崗岩の基盤の上に乗った輝石安山岩からなる溶岩台地であります。

地中から噴出したマグマがテーブル状に固まってこの形になりました。

標高293m。かつては四国本土からやや離れていたが、江戸時代の新田開発により陸続きに近くなりました。

ただ、今なお相引川によって隔てられています。

屋島観光

北嶺と南嶺にわかれ、南嶺山上には四国八十八箇所第84番霊場の屋島寺や、新屋島水族館(旧・屋島山上水族館)があり、獅子の霊巌からの高松市、瀬戸大橋方面の眺望、談古嶺からの五剣山、源平古戦場方面の眺望は美しいです。

また、北嶺の遊鶴亭からの瀬戸内海方面の眺望も有名であります。

名物は「いいだこのおでん」。

また、源氏が勝利を祝って屋島山頂から陣笠を投げたことに倣って「かわらけ」という薄く小さな円形の土器を投げるのも屋島を訪れる人の楽しみであります。

山上には登山道を徒歩で登るか、JR屋島駅または高松琴平電気鉄道志度線琴電屋島駅から屋島山上行きシャトルバス利用、あるいは車で有料道路の屋島ドライブウェイを利用して登る方法があります。

屋島山上に徒歩で登山する場合は、志度線の潟元駅が最寄り駅。

タクシーを使い、屋島ドライブウェイ経由で登る場合は、琴電屋島駅が最寄りとなります。

以前は山頂付近まで屋島ケーブル(屋島登山鉄道)がケーブルカーを運行していたが、2005年(平成17年)8月31日に廃止となった。
登山口奥には、四国村(四国民家博物館)があります。

休業施設撤去問題

かつては四国の代表的な観光地であった屋島であるが、瀬戸大橋開通時の賑わいを最後に観光客が激減しました。

この影響で山上にあったみやげ物店・宿泊施設が相次いで閉鎖され、現在は事実上廃墟の様相を呈したものが少なくないです。

こうした建物は景観や保安上の問題があり地元からは撤去を求める声が多いが、土地の所有者が屋島寺であるため、公的機関が思うように撤去を進められないのが現状であります。

このため、高松市などは自然公園法による国からの補助金を得て公費で撤去を行うスキームを検討しています。

屋島のふもとは高松市有数のベッドタウンであり、多数の住宅・団地・マンションが建設されています。

屋島西町には、健康ランドの老舗やしま第一健康ランドもあります。

映画『世界の中心で、愛をさけぶ』のロケ地となった高松市庵治地区(旧・木田郡庵治町)を屋島ドライブウェイから一望出来きます。


posted by tomarigi at 11:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園

寒霞渓 玉筍峰東西7q、南北4q 香川県の小豆島にある渓谷 瀬戸内海国立公園に含まれ、同公園を代表する景勝地として名高いです 「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれています

寒霞渓(かんかけい)は、香川県の小豆島にある渓谷。

玉筍峰東西7q、南北4q。

日本書紀にも記述がある奇勝で、元々は鉤掛山、神懸山などと呼ばれていたが、明治初期の儒学者、藤沢南岳が寒霞渓と命名しました。

大正12年(1923年)3月7日に「神懸山(寒霞渓)」として国の名勝に指定されています。

また、瀬戸内海国立公園に含まれ、同公園を代表する景勝地として名高いです。

1983年には森林文化協会と朝日新聞社が制定した「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれています。

火山活動により堆積した角礫疑灰岩などが、度重なる地殻変動により水や風に侵食されて現在の奇岩や岸壁が形成されました。日本三大渓谷美や日本三大奇勝の一つに数えられることを謳っており、とりわけ新緑や紅葉の季節は圧巻であります。

登山道の名所

寒霞渓表十二景 - 通天窓 - 紅雲亭 - 錦屏風 - 老杉洞 - 蟾蜍岩 - 玉筍峰 - 画帖石 - 層雲壇 - 荷葉岳 - 女羅壁 - 烏帽子岩 - 四望頂

寒霞渓裏八景 - 鹿岩 - 松茸岩 - 石門 - 大師洞 - 幟岳 - 大亀岩 - 二見岩 - 螺貝岩


施設

レストラン

一億円のトイレ

寒霞渓の所在地

〒761-4433 香川県小豆郡小豆島町神懸通

寒霞渓への交通アクセス

高松港から船で草壁港(小豆島)、そこからバスで13分「紅雲亭」下車、寒霞渓ロープウェイ約5分

神戸港・中突堤中央ターミナルから高速船「ラ・ベルメール」で坂手港(小豆島)

姫路港から船で福田港(小豆島)

新岡山港から船で土庄港(小豆島)

周辺情報

石門洞(島四国18番札所)

宝生院(島四国54番札所)

宝生院のシンパク(国指定特別天然記念物)


posted by tomarigi at 14:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園

薩摩半島 全体が鹿児島県 九州の半島のひとつです 南端は、長崎鼻であります その近くに開聞岳(標高924m) 指宿温泉があります

薩摩半島(さつまはんとう)は、九州の半島のひとつです。

九州の南西端にあたり、東岸は鹿児島湾を挟んで大隅半島に対峙し、西岸は東シナ海に面しています。

南端は、長崎鼻であります。

その近くに開聞岳(標高924m)、指宿温泉があります。

全体が鹿児島県に属します。

中心都市は鹿児島市であります。

行政区域

鹿児島県
阿久根市
出水市
甑島列島を除く薩摩川内市
さつま町
いちき串木野市
桜島を除く鹿児島市の全域
日置市
南さつま市
枕崎市
指宿市
揖宿郡
頴娃町
川辺郡
川辺町 - 知覧町

交通
鉄道
九州新幹線
鹿児島本線
日豊本線
指宿枕崎線
道路
九州自動車道
南九州西回り自動車道
指宿スカイライン
国道3号
国道10号
国道225号
国道226号
国道270号
国道328号

posted by tomarigi at 14:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園

瀬戸内海国立公園 瀬戸内海を中心とする国立公園 現在は、西は北九州市、東は和歌山市にまで及ぶ広大な公園

瀬戸内海国立公園(せとないかいこくりつこうえん)は、瀬戸内海を中心とする国立公園です。

1934年3月16日に雲仙天草国立公園、霧島屋久国立公園とともに、日本初の国立公園として指定されました。

その当時の指定区域は小豆島の寒霞渓、香川県の屋島、岡山県の鷲羽山、広島県の鞆の浦など備讃瀬戸を中心とした一帯のみでありました。

その後、過去数回にわたり、区域の拡張がなされました。

現在は、西は北九州市、東は和歌山市にまで及ぶ広大な公園となっています。

地理

面積

総面積 − 62,781ha

おもな山

六甲山(兵庫県神戸市)

紫雲出山(香川県三豊市)

筆影山(ふでかげやま)(広島県三原市)

野呂山(広島県呉市)

五剣山(香川県高松市)

象頭山(香川県琴平町)

高崎山(大分県大分市)

おもな海・湾

赤穂御崎(兵庫県赤穂市)

鷲羽山(岡山県倉敷市)

鞆の浦(広島県福山市)

室積・虹ヶ浜海岸(山口県光市)

琴弾公園(銭形砂絵)(香川県観音寺市)
など


主な高原・台地

五色台(香川県坂出市)

主な谷

蓬莱峡(兵庫県西宮市)

寒霞渓(香川県内海町)

指定地の分布と観光地

兵庫県

六甲山地

同公園における陸地の指定地においては最も広範です。

古くから風光明媚な瀬戸内海を望む景勝地として知られ、とりわけ信仰の対象として崇敬され、大龍寺や天上寺など多くの社寺が構える一方で、ほとんど開発が行われなかったよです。

明治時代になって別荘地として開け、今日に見られる高級リゾート地の基礎となりました。

最高峰である六甲山(標高931m)を始め、摩耶山、再度山、長峰山等がそびえています。

地質は花崗岩が主であり、採石も盛んに行われてきました。

また、西宮市にある蓬莱峡は花崗岩の岩柱が無数に屹立する奇勝として名高いところです。

一帯には日本有数の名湯である有馬を始め、武田尾などの温泉地があります。

摩耶山掬星台は日本三大夜景としても著名であります。

播磨灘沿岸

播磨灘沿岸の指定地としては、赤穂市の御崎〜坂越浦沖の生島〜室津海岸〜姫路市の新舞子海岸に至る沿岸部一帯が該当します。

新舞子海岸は須磨区の舞子海岸に似た材質を持つ砂浜海岸、そして室津海岸、国の天然記念物にも指定される生島、小豆島や家島を遠望する御崎と続きます。

また、室津や坂越は古くから風待ちの港町、製塩業で栄えた町として知られ、今も古い街並みが残ります。

赤穂御崎から室津海岸の間の相生市の金ヶ崎は万葉集に金ヶ崎で読まれた句が残っています。

家島諸島

家島諸島では家島の南岸一部とそれ以西の島のほぼ全部が含まれています。

典型的な沈水海岸であり、溺れ谷などが発達し、変化に富んだ海岸が見られます。

淡路島

淡路島では明石海峡を挟む松帆の浦、汐鳴山など北岸の一部、津名丘陵の妙見山近辺、先山千光寺一帯、大浜海岸と三熊山、由良海岸と一部山岳地帯、諭鶴羽山地の一部及び沼島、慶野松原、そして鳴門海峡沿岸の一部が指定区域であります。

理由は様々であり、風光明媚な景勝地である慶野松原、由良海岸(成ヶ島の陸繋島)、貴重な植生が見られる三熊山、諭鶴羽山地、沼島などがあります。

和歌山県

和歌山県における指定地は加太、和歌浦の2ヶ所であります。

加太・友ヶ島

加太は古くは寄港地として栄えた港町です。

今日ではその面影は見られないが、零細な漁業が中心であります。

遠く四国を望む景勝地であり、友ヶ島は紀淡海峡に位置する無人島です。

第二次世界大戦中の砲台跡が見られます。

新和歌浦・雑賀崎

新和歌浦は万葉の歌垣として知られた和歌浦の西部に位置する景勝地です。

戦後、観光開発が進み、沿岸にはホテル、旅館が集中しました。

変化に富んだ海岸線や海食崖が見られるが、近年は開発によって著しく姿を変えています。

雑賀崎は新和歌浦の裏手に位置します。

岡山県

日生諸島

日生諸島は岡山県南東部に位置する島嶼群であり、様々な特徴を持った島が点在します。

鴻島はリゾート開発が盛んな観光拠点、鹿久居島(かくい)は、名の通り野生鹿が棲息する島で、保護区が多い。大多府島は古くは風待ちの港町として栄えた島であり、鶴島は流刑の島でありました。

また、本土の日生町にある夕立受山も指定区域となっており、展望所があります。

牛窓

牛窓は日本のエーゲ海の異名を取る町であり、温暖な気候であります。

また、オリーブ栽培が盛んなとろです。

本土の蕪崎、島嶼部の前島が指定区域です。

児島半島

児島半島一帯にも指定区域が点在します。

著名なのは白砂青松100選にも選ばれている渋川海岸(玉野市)であり、海水浴客で賑わいを見せる。他には出崎(玉野市)、十禅寺山、東光寺山、八丈岩山、由加山などが指定されており、由加山は由加神社の保護林であります。

十禅寺山は平安時代に山岳仏教で栄えた霊山であり、直島諸島を一望できます。

鷲羽山

鷲羽山は同国立公園を代表する景勝地の一つです。

下津井鷲羽山として国の名勝に指定されており、公園設置当初から指定されている地区の一つであります。

花崗岩の著しい風化によって造形された景勝地であり、江戸時代より天下の絶景としてもてはやされました。

古くは風待ちの港として栄え、現在も下津井などに古い港町の街並みが残されています。

また、瀬戸大橋の開通によって著しく景観を変えています。

寄島・笠岡湾

県南西部、水島灘沿岸にも指定区域が点在します。

カブトガニの棲息で名高い笠岡湾が知られています。

他には干拓によって陸続きとなった寄島園地(三郎島)、青佐鼻、笠岡市南東部の御嶽山などが指定されました。

広島県

鞆の浦・阿伏兎岬

鞆の浦は広島県福山市南部に位置し、同公園を代表する景勝地として知られています(国の名勝にも指定)。

瀬戸内海国立公園開所当初の指定地のひとつです。

鞆港や仙酔島などを含む地区で、内海交易や寄港地、中継貿易地として発展しました。

とりわけ、福禅寺境内にある対潮楼から望む仙酔島は、朝鮮通信使の李邦彦により、「日東第一形勝」と絶賛されたことは有名です。

また仙酔島自体も雄大な海食崖や海食洞が見られ、変化に富んでいます。

最高峰の大弥山は瀬戸内海を一望し、観光遊歩道が設けられています。

また、鞆は文化地区としても価値が高く、現在も当時の港町の繁栄を残す町並みが残り、古くからの社寺も見られます。

阿伏兎岬(あぶとみさき)は鞆の南部に位置する岬で、平家物語にも登場します。

海食崖になっており、その頂には国の重要文化財の磐台寺観音堂(阿伏兎観音)があります。

芸予諸島

芸予諸島は瀬戸内海の中で、最も密集した諸島であり、展望地が多いところです。

三原市の筆影山はその代表で、ここから眺める瀬戸内海の多島美は同公園でも指折りの景観といわれています。

また、尾道市の鳴滝山、向島の高見山、竹原市の黒滝山などが遠望の名所です。

芸予諸島東部(しまなみ海道)では因島、生口島(いくちじま)、大崎上島や下島などに点在。戦時中の毒ガス工廠があった大久野島も指定地です。

因島は村上水軍の拠点があったとされる白滝山、島中央部の天狗山、南部の因島公園や天狗鼻などに分布します。

生口島は南西部の観音山のみ指定されているが、向上寺や耕三寺など著名な寺が多いところです。

斎灘に面する芸予諸島西部は大崎上島南東部の神峰山、大崎下島東部、峰寺山一帯が指定地。また大崎下島には近世に風待ちの港町で栄えた御手洗の集落があります。

野呂山・休山・倉橋島

野呂山は県南部に位置する標高839mの山で、膳棚山と弘法寺山の総称です。

瀬戸内海沿岸の山では最高峰であり、眺望が素晴らしく、さざなみスカイラインという自動車道が整備されています。

休山は呉市街南西の半島部を構成する標高497mの山です。

同じく眺望に優れ、スカイラインが整備されています。

倉橋島は音戸の瀬戸によって結ばれている広島湾の島。部分的に指定されており、島東部の亀ヶ首、南部の鹿老渡や桂浜が指定地です。

宮島・極楽寺山

宮島は全島が指定区域。正式には厳島と呼ばれ、神を斎く(忌み清める)島という意味を持っています。

古くから聖地として知られており、手付かずの自然が残る。瀰山原始林は国の天然記念物に指定されています。

極楽寺山は廿日市市北部にある山で、同公園における本州内陸部の指定地では最西端に当たる。真言宗の古刹である極楽寺があります。

境内からは瀬戸内海を一望できるほか、境内は戦時中も伐採されなかったため、モミの自然林が残っています。

山口県

防予

熊毛半島の東端にある皇座山と周防灘に面する佐合島、馬島、そして屋代島(周防大島)の文殊山、嘉納山、嵩山、白木山、そして東端の沿岸部が指定。その周辺の島嶼群も大半が指定地となっています。

周南

光市には白砂青松の海岸で名高い室積海岸、虹ヶ浜海岸があります。

その内陸に位置する千坊山も指定地です。

笠戸ヒラメで名高い笠戸島は沈水海岸による複雑な海岸線が見られ、釣りやキャンプなど観光の島。徳山湾では東に突き出た半島部や、周辺の島々(黒髪島、大津島など)が指定地。半島部に太華山、竜宮岬などがあります。

下関

関門海峡近くに点在しています。

内陸では関門海峡を望む火山と関門海峡に孤立する干珠樹林、満珠樹林が指定されました。

後者の二つは小島に孤立する原生林でスダジイなど暖地性の植物が繁茂、忌宮神社の飛び地境内として保護されてきました。

また、神宮皇后の東征にまつわる逸話があります(いずれも国の天然記念物)。

火山は火の山ともいわれ、同公園の最西端です。

戦時中は見晴らしが良いことから砲台が配置されていました。

公園整備されており、有料道路のパークウェイが設けられています。

徳島県

鳴門海峡

鳴門海峡は鳴門の大渦で知られ、その海峡を望む海岸部一帯が指定されている。一帯には大毛島、島田島があり、その全域及び小鳴門海峡と鳴門市東端の岡崎海岸が該当します。

大坂峠

香川県と境界を成す峠です。

古来より阿讃山脈越えの難所として知られ、源平合戦の舞台にもなりました。

頂上からの見晴らしは良く、小豆島などを遠望できます。

なお、同公園には指定されていないが、徳島市西部の眉山も瀬戸内海遠望の地として有名です。

香川県

小豆島

小豆島の代表的な景勝地は寒霞渓であります(詳しくは寒霞渓の項を参照)。

その渓谷美と一面瀬戸内海のパノラマは同公園の景勝地の中でも最大のハイライトともいわれる、同国立公園設置の契機となった地区でもあります。

その西部には野生猿の餌付けで知られる銚子渓があります。

その他の指定区域では島東部の海岸線一帯、南東部の碁石山山麓、南端の白浜山、西部の皇踏山(おうとざん)一帯が含まれています。

碁石山は小豆島八十八ヶ所の一番札所として知られています。

皇踏山は安山岩による溶岩台地であり、応神天皇がシンパクを手植えしたという伝承が残ります。

直島諸島

豊島、直島の一部と男木島、女木島全域が指定。豊島は地元悪徳企業に端を発する産業廃棄物不法投棄問題で揺れた島、長年の住民運動の末、何とか本来の自然を取り戻しつつある。直島はその廃棄物の受け入れ口があり、島の南部が指定されました。

男木島(おぎじま)は源平合戦の那須与一の扇が漂着したことで「おうぎ島」が訛ったものとされる島です。

男木島灯台は映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台となったことで知られています。

一方、女木島(めぎじま)は鬼ヶ島とも呼ばれ、桃太郎伝説と関わりが深い。北部にある鷲ヶ峰頂上には洞窟があり、鬼の住み処であったといわれています。

東讃

香川県東部は特に有名な景勝地があるわけではないが、小規模な指定地が点在します。

白鳥海岸、琴林公園、大串岬が該当します。

白鳥海岸は複雑な地層が見られる断崖で、特に鹿浦越の煌斑(ランプロファイヤ)岩脈は国の天然記念物です。

琴林公園は樹齢600年のクロマツが立ち並ぶ四国有数の松原で、古来より風流人に親しまれた地でありました。

名の由来は海風の松籟(松の梢が重なり合って鳴る音)に因んでいます。

大串岬一帯は大串自然公園として整備されており、観光開発が著しく、ワイナリーやテニスコート、温泉施設、野外音楽ホールなどが設けられています。

屋島・五剣山

屋島は県中央部にある開析溶岩台地。半島状に付きだしていおり、近世までは島であり、浅瀬で隔てられていました。

東部の壇ノ浦は平家物語の屋島の合戦で知られています。

頂上には四国八十八ヶ所の屋島寺や屋島水族館、土産物屋などが立ち並び、県を代表する観光地となっています。

五剣山は八栗寺があるため、八栗山ともいわれる岩峰です。

山腹にはケーブルカーがあるが、頂上へは鎖を伝って登るほど険しいです。

一帯は庵治石という良質の花崗岩の産地でもあります。

塩飽諸島

塩飽諸島はほぼ全島全域が指定地となっています。

塩飽水軍の拠点として知られ、歴史上数多くの役割をこなしてきました。

本島の笠島地区は重要伝統的建造物群保存地区です。

広島は広島県との区別を付けるため、さぬき広島ともいわれている同諸島最大の島です。

良質の花崗岩を産出するほか、トライアスロン大会が行われています。

与島は瀬戸大橋開通によって、乗降可能になった島で、パーキングエリアやフィッシャーマンズワーフがあります。

五色台・城山・飯野山

五色台は猪尻山を最高峰とする台地状の山地で、メサ(卓状地)やビュート(孤立丘)が発達しています。

また、表面上の溶岩や植生などの色合いから名付けられた白峰山、黒峰、紅ノ峰、青峰、そして黄ノ峰の山々があり、それが名称の由来となっています。

四国八十八ヶ所の寺もあり、観光客が多いところです。

城山は五色台の西側に位置する山(メサ)。朝鮮式の山城があったことから国の史跡指定を受けています。

飯野山は讃岐富士の異名を取るビュート状の山です。

端正な形で知られています。

西讃

西讃の指定地は琴平や善通寺、荘内半島、そして銭形で知られる琴弾公園などがあります。

琴平は琴平山(象頭山)などが指定区域であり、中腹に金刀比羅宮があります。

古くから金刀比羅信仰の聖域として保護されてきました。

その東側にある我拝師山や火上山は弘法大師空海に関わりが深く、善通寺界隈の景観と一体化した、文化的景観の様相が強いです。

荘内半島は浦島太郎伝説で知られる半島。最高峰の紫雲出山からは瀬戸内海を360度展望できます。

周囲には三豊市の粟島や蔦島などがあります。

琴弾公園は白砂青松の有明浜に、砂で描かれた寛永通宝があり、銭形砂絵と呼ばれる見事なものです。

愛媛県

芸予諸島(愛媛県側)

岩城島の積善山、生名島の立石山、弓削島の松原海岸、久司山、大三島の鷲ヶ頭山、伯方島の宝股山や開山、大島の亀老山、八幡山、念仏山、四阪島の美濃島などが指定地です。

大三島は大山祇神社が鎮座する神の島として知られています。

生名島の立石山は波間田サウンドパークと称して、自然一体型の公園が整備。開山には展望台があります。

高縄半島

東部に指定地が点在します。

白砂青松で知られる桜井海岸や鴨池海岸、唐子浜、波止浜、大角鼻、瀬戸内海を遠望する近見山、中世の山城が置かれた世田山、笠松山などがあります。

県中部

松山市西部や四十島瀬戸を挟んで位置する興居島(ごごしま)、出石山などが指定区域。出石山は同国立公園の最南端に当たります。

真言宗の古刹、出石寺が建ち、境内からは瀬戸内海や豊後水道を一望できます。

佐田岬

佐田岬半島の先端部分、佐田岬が指定区域です。

一帯は国内有数の船の難所で知られ、豊後水道の潮流によって浸食された海食崖や中央構造線が通ることから断層崖も見られます。

福岡県

関門海峡
福岡県の指定区域はごく一部で、北九州市門司区の和布刈山付近のみであります。

大分県

国東半島(両子山)

国東半島での指定部分は限られており、両子山(ふたごやま)の山嶺部分のみであります。

この一帯は放射状に河谷が発達しており、至る所に耶馬溪のような景観が見られます。

なお、国東半島は六郷満山文化の拠点としても知られ、両子山山頂には両子寺があります。

高崎山

高崎山は大分市西部、別府市との境界付近に位置する標高627mの山です。

野生のニホンザルの餌付けで知られており、約2000頭の猿が三群に分かれ、棲息しています。

高崎山の猿および猿生息地は、国の天然記念物指定も受けています。

なお、同地域は元々、昭和9年に阿蘇国立公園(現、阿蘇くじゅう国立公園)の一部として指定されていたが、昭和31年に分離、瀬戸内海国立公園に編入された、特異な経歴を持っています。

姫島

姫島は国東半島北部に位置する島で、全島が指定されました。

四つの火山島が砂州によって繋がれている珍しい構造で、小さな島の割には変化に富んだ地質を見せます。

民俗学的には姫島の盆踊りが知られています。

高島

豊予海峡に位置する無人島です。

波の浸蝕が激しく、無数の波食地形が見られます。

また、ビロウやアコウなど亜熱帯性の植物が繁殖、ウミネコの営巣地としても知られ、自然が豊富であります。


関連市町村
注 : 以下のものは、2006年3月31日現在のものであり、今後合併によりなくなる予定の市町村も含まれている。

近畿地方

大阪府(海上区域)

兵庫県
相生市
赤穂市
芦屋市
淡路市
神戸市
洲本市
宝塚市
たつの市
西宮市
南あわじ市
姫路市

和歌山県
和歌山市

中国地方

岡山県
浅口市
岡山市
笠岡市
倉敷市
玉野市
備前市
瀬戸内市

広島県
大竹市
尾道市
呉市
竹原市
廿日市市
広島市
福山市
三原市
江田島市
東広島市
豊田郡
大崎上島町

山口県
岩国市
下松市
下関市
周南市
光市
防府市
柳井市

大島郡
周防大島町

熊毛郡
上関町
田布施町
平生町

四国地方

愛媛県
今治市
大洲市
西条市
松山市
八幡浜市

越智郡
上島町

西宇和郡
伊方町

香川県
観音寺市
坂出市
さぬき市
善通寺市
高松市
東かがわ市
丸亀市
三豊市

香川郡
直島町

小豆郡
小豆島町
土庄町

仲多度郡
琴平町
多度津町

徳島県
鳴門市

九州地方

大分県
国東市
大分市
豊後高田市

東国東郡
姫島村

福岡県
北九州市


posted by tomarigi at 14:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 瀬戸内海国立公園

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。